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1カ月が経った。
田中さんは、約束を守った。
来る日も来る日も、練習場の端の打席でPWを握り続けた。
PWで30ヤード、50ヤード、70ヤード
——それだけを、ただ繰り返した。
隣では若い人たちがドライバーを振り回している。
「ナイスショット」の声が聞こえる。
田中さんは、振り向かなかった。
——振り向いたら、負ける気がしたから。
その日、私はいつもどおり田中さんの隣に立った。
そして、一言だけ言った。
「……やっと、ですね」
田中さんは、少し笑った。
信じきれてはいないが、信じてみる、という顔だった。
構えた。
1カ月前とは、まるで違った。
肩に力がない。
足に余分な踏ん張りがない。
飛ばしてやろうという気配が、どこにもなかった。
乾いた音が一つ。
ボールは低く、鋭く出た。
「飛んだ」というより「運ばれた」
——そんな弾道だった。
右にも左にも逃げず、ただ真っすぐ、前へ伸びていった。
田中さんはしばらく、その白い点を目で追い続けた。
それから、ゆっくりこちらを向いた。
私はそこで、田中さんに言った。
「ドライバーは、200ヤードのアプローチだと思ってください」
田中さんは、少し首をかしげた。
「200ヤードの、アプローチ??」
その言葉を、不思議そうに繰り返した。
「アプローチのとき、マン振りしますか」
「……しないですね。距離を合わせるものだから」
「ドライバーも、同じです」
目的は距離じゃない。
次が打てる場所に置くこと——それだけだ。
「7割で振れば芯に当たる。芯に当たれば曲がらない。曲がらなければOBがなくなる」
田中さんの目が、少し遠くなった。
ドライバーは変わっていない。
グリップも、シャフトも、ヘッドも
——1カ月前と同じだ。
変わったのは、田中さんの中にある「ドライバーの意味」だった。
もう一球、田中さんは構えた。
何も聞いてこなかった。
ただ静かに、PWの70ヤードを打つつもりで、クラブを通した。
また、真っすぐだった。
田中さんはクラブをゆっくり下ろして、ぽつりと言った。
250ヤード飛んでもOBなら意味がない。
180ヤードでもフェアウェイなら、100切りは目前です。
「200ヤードのアプローチ」
こんなティーショットをどう思いますか。
「ちょっと物足りない」と思いましたか?
でも、100切りに必要なのは飛距離じゃない。
OBがないこと。
ペナルティがないこと。
次を普通に打てること。
それが、100切りへの最短ルートです。
\続きを読む/第5話 転がすアプローチ



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